献体と尊厳死協会
~2017年1月26日のテレビ東京「カンブリア宮殿」の感想など~



この回のテーマは在宅死。
つまり「どこで死にたいか」ということ。

私は「死に場所」ではなく
「誰に死亡診断書を書いてもらいたいか」という視点で闘病・療養生活を送っている。


居住空間に他者(血縁の有無は無関係)が侵入・介入するのは嫌だ。
死に際、もしくは2本足で歩けなくなってから最も遭遇したくない人々が
来にくいという点でも主治医の病院は優れた条件下にある。

番組内でも触れられていたが、
在宅死を希望する人の8割は医療機関で亡くなっている。
要するに、生前の希望通り自宅で死ぬ人は1~2割ということ。
これが現状。
私はトリプルネガティブ乳癌を発病する2週間前まで看護師として働いていた為、
これを体験的に知っていた(在宅医療も)。
だから、自分が癌を発病した時、死ぬことから逆算して考えた。

そして「誰に看取られたいか」と真っ先に思った。
当時(2012年1月18日の未明に下書き)友人・知人宛に送信したメールには
「初めて死ぬことを前提に物事を考えた。
ほぼ全ての選択肢を自分で用意できるというのも、どうなるか分かるから恐い」と書いてある。

発病から間もない頃「この人、信頼しても良いかも」と思えるような医師に出会えたのは、
不幸中の幸いだったと思っている。
2012年9月11日に最初の手術を受け、
2013年9月に再発し、
再発の治療期間は遺伝子の専門医に交代(別窓)したものの、
2014年5月からは再び初診医(現在の主治医)に継続して診察を受けている。
私はこの人に自分の死亡診断書を書いてもらいたい為、以下のものを準備している。

(1)献体登録(白菊会連合会)の会員証(2012年2月入会)

(2)日本尊厳死協会の会員証(2012年3月入会)

(3)運転免許証

(4)現金〇万円→主治医の病院までの片道タクシー代

(5)主治医の病院の所在地と電話番号を大きく記載してある紙


■常時カバンに入れて携帯しているのは、カード型の(1)(2)+(3)

■椅子に座ると見える場所に1まとめにしてあるのは、紙の(1)(2)+(4)+(5)

■少数の友人(元同僚の看護師達)に渡してあるのは(1)と(2)のコピー1枚ずつ→2012年9月、最初の手術前に渡し済み。

路上で行き倒れた場合は99%以上の確率で救急車を呼ばれるし、
日本人はそれが善意だと思っている人が大多数である。
周囲の人に「自分は癌で救命処置不要」ということは、倒れている時点では伝わってない。

また、救急隊は救命することを職業としている人達だから、
救急車に乗せられたら最後…意識が無い場合など、
蘇生は不要と意思表示する前に(希望してない)延命処置をされてしまうのは仕方ない。
救急車に乗らないようにすることが大切。

救急車は税金で運営されており、維持費や救急隊員の給料は税金から支払われている。
従って、自己負担額は不要…つまりこの国にいる人は誰でも無料で使えるという仕組みだ。
具合が悪そうで、周囲にもそう見え、救急車に乗って医療機関に行きたいが、
車内での医療処置は不要で(無料で)運搬だけしてくれというのは虫が良すぎる。

これは看護師として勤務していた時に強く感じていたし、
癌患者となり、視点を変えて救急医療を垣間見ることになった現在も不変である。
何回でも書こう。だから、
救急車に乗らないようにすることが大切なのだ。

万が一、乗せられた場合に備え、次に再発したら以下のようにする。
これは平成の始め頃に勤務していた外科病棟の師長が実践していたことだ。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
薬局等で無色透明のフイルム素材のものを購入し、
太く濃く油性ペンで「心臓マッサージは不要」と書いて前胸部に貼る。
こうしておくと、薬剤は使われても、救急車内で蘇生される確率は低くなる。
心臓マッサージの手技を考えると、施行する人が必ず目にするからだ。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
もう1つ。
自宅にいても外にいても「意識があって具合が悪い場合」に
タクシーに乗るための「ぬかりない準備」をしておくことが最重要。
それは、行き先を口頭または紙で提示できること、
そして現金を持っておくこと…以上2点である。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
癌患者としての私は、在宅医療・延命処置を希望しない。


話題を変えよう。
番組で取り上げられていた「やまと診療所」のホームページには、
誰でも参加可能な講習会があると書かれており、
そこには「番組で触れられなかった部分もあります」的なニュアンスの文章がある。

この「番組で触れられなかった部分」の中には、
医師法20条の正しい解釈と実践や、事故死と病死の違い、
在宅医療に准看護師が不向きな点などが含まれていると思われる。
私は看護師として勤務した30年間で在宅医療も経験し、これらのことを知識として頭に入れることが出来た。

ここで注意が必要なのは「訪問」や「介護」という言葉を使っていないことである。
「カンブリア宮殿」の番組内でも出演者の口からは発せられていない。

■在宅医療は健康保険の診療下における医療行為である。

■介護は介護保険下における日常生活の援助行為である。

■訪問は「提供する側の視点」で言う言葉だが、在宅は「家にいる人」というニュアンスである。

正しい定義や、法律上の区別は定かでないが、自分の看護師経験から書いてみた。


このレポートを書くにあたり、自分の闘病・療養生活について再考した。
サイト内やツイッターには同じような主旨の文言があるが、それは自分で自分の意思を確認しているということ。

明石家さんまさんのように「生きてるだけで丸もうけ」とは悟れないが、
2本足で歩けるうちに色々な所に行きまくる、
意思表示が可能なうちはあらゆる方法(言語、文字、自分の意思を正しく伝達してくれる人を周囲に置いておく等)を
使って意思表示するのが、私の闘病生活の生命線だ。
2012年に1月に発病後、幾度となく涙を流し、歯を食いしばり、太りながらも生き延びられている。
発見された時から進行癌だから、予後が良くないことは知っている。

毎日好きな事しやがってと思う人はスルーで良い。
2本足で歩けるうちに色々な所に行きまくる、
自分が楽しい・面白い・快適と思うことだけを追求してNK細胞を増やす…というのが私の方針。
私が闘う相手は「この国の医師免許を持つ人の中でも
更に専門化された人達が何十年も研究しても倒せないトリプルネガティブ野郎」だから、
このまま何もなく済ませられる訳がないと思っている。

術後1年で再発しやがった私のトリプルネガティブ乳癌、
定年までは生きられないだろうから、働かないと決めてからは“ちょっと早めの定年後”なのだ。

どうだ!文句あるか!

以上。

ここまでの文章は2017年1月27日に記載。
加筆・訂正をした場合は、ここから下に追記します。


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